去年の春に、長崎に移住してきた。
この中村あきらのブログを読んでいる方は、「もう一年か」と思う人も多いだろう。
1年前の長崎に引っ越した際に投稿した記事はこれだ。
この記事から1年、つまり長崎に移住して1年どのような心情の変化や、ビジネスの変化があったかを紹介していきたい。
目次
長崎にきて1年、ビジネスは伸びた!
長崎にきて1年。はっきりと言えばビジネスは伸びた。
正直、IT経営者がparcy’s代表になって、インターネット通販事業からparcy’sプログラムを広めるという、よく分からない選択に映ったことだろう。
さらに、お客さんはほとんど都心に住む女性に関わらず、長崎という田舎に移住した。
正直ぼくも大丈夫かなと不安が多かったように思う。
でも、結果的にはビジネスが伸びたのと、豊かな日常を手にしたように思う。
長崎に引っ越したことで、ネットを使ったサービスとしてparcy’sプログラムを伸ばしていくことに背水の陣をしいた。
parcy’sプログラムのような、コンテンツビジネス・自己啓発系や恋愛系のビジネスは、たくさんの人に合って、人間の関係性の広がりがビジネスの広がりとなっていくというのが王道パターンだ。
parcy’sプログラムを始めた当時も、毎日のように講演をして、ファンやサービスを広げていくことが大事だとたくさんの研修講師やセミナー講師の人からアドバイスをもらった。
ただ、ぼく自身、そんなに人と会うような人ではない。
むしろパソコンの前でずっと仕事をしていきたい人間なんだ。
戦略づくりや執筆などの作業に没頭していたいが、parcy’sプログラムはどんどん広げていきたいという、迷いだったり葛藤だったりは、横浜に住んでいた時からあった。
でも、その迷いを振り切るように、あえて長崎。一番難しいけど、長崎にいながらビジネスが伸びたら幸せだ、というところをチョイスした。
結果的に、長崎に来たことでビジネスが伸びていった。
移住して最初の半年こそストレスが多かった。
「東京にいたら、もっと色んなキーマンとつながるのに・・・」
「もっと講演やセミナーができれば売上上がるのに・・・」
・・・こんな感じ。
いく前からわかっていたことばかりだけど、人に会うペースが変わり、周辺環境も変わり、仕事スタイルも変わり、色々と適合するのにストレスがあったのだと思う。
でも、半年を過ぎたころからどこかあきらめて、parcy’sプログラムをネットを中心としたサービスに完全に変えて行った。結果的にその選択が、大きく売り上げを伸ばすことになった。
オンラインアカデミーでは、ネットで全国の女性からの質問に答えられるし、日本中の女性がparcy’sプログラムを学んでくれるようになった。今では都心と地方の女性のお客さんは半々ぐらいになっている。
そして毎月10人以上の入学者が入ってくるという状況だ。
きっと横浜や東京にいたら、これをつくることはできなかったと思う。
自分自身が地方に移り、地方からできるビジネスへと転換した事で、お客さんも地方からジョインできるサービスに昇華していったんだ。
長崎でのオフィスや社員の採用は頓挫!チームは全国のスタッフに
1年前の投稿にあったように、長崎でオフィスや採用をやろうと思っていた。
長崎に移住してすぐにインキュベーションオフィスや大学や勉強会を回った。
回った結果、長崎に組みたいと思う優秀な人はいなかったというのが正直な感想だ。
まあ、考えたら当たり前で、組めるような人なら、長崎に住むという選択はしないし、最低でも東京、普通にしたら海外でどこか拠点を持つだろう。
また、プロはいたとしてもあまりに価値観が違う。
地方でビジネスをしている人は、やはり関係性で仕事が成り立っていることが多く、何か変なことをすると他の地元企業と仕事ができなくなる可能性を含んでしまう。
そういう人と一緒に何かインパクトがある面白いことができるかっていうのと、お互いがその未来に向けて共鳴できるかっていうと、全く合わないんだよね。
ぼくのビジネスは、やっぱり長崎でなくてもできるし、もっと言えば日本でなくても出来てしまう。
だからこそ自由に仕事ができたり、幸せに仕事ができるわけだが、地元に根付いているプロたちと一緒に長崎のために何かをやりたいかっていうと別にそんなことはない。
そんなところで、ぼくとしても彼らに関わるのは彼らにとってリスクをもたらせてしまうなと感じることも多い。
そういったところで、この1年色々長崎動いてみたが、長崎の企業と組んだり、長崎のプロと組んだり、長崎の人を採用したりオフィスをつくったりというのは、今の所はあきらめた感じだ。
ただそれはできなかったが、自分が心地いいと感じるスタッフたちやパートナーたちとの出会いは増えた。
それは日本全国のビジネスパートナーたちだ。
今では、20人〜30人の人が外部パートナーとして「parcy’s」に関わっている。
やはりというか、自分としてはネット上だけでつながっているこの外部パートナーたちとの仕事がとても心地いいものになっているね。
子どもとの日々がすごく充実していて幸せを感じている
これは家族とのことだが、長崎に来て、子育てをしながらとても充実感と幸せを感じている。
正直、これはぼく自身すごく驚いていることだ。
「あぁ、自分はこんなにも幸せを感じるんだ」
って、長崎にいるとき日々感じている。
この幸せと充実感は、長崎に来て一番よかったと思うことだ。
正直長崎では、志が同じ仲間はいない、本当の意味で気が合う人はいない。だから、飲みに行くなんてのは、2ヶ月に1回あるかないかだ。だって、友達いないもん。
だけど、その分家族の時間がすごく多い。
2歳の息子の直人との時間は本当に素晴らしい。
しかもビジネスも伸びてくれて、「あーこんなに幸せでいいのかぼくは」って心配してしまうぐらいだ。
でも、この充実感と幸せはぼくの指針になりつつある。
この感覚を「幸せの土台」に、自分のビジネスをこれからもつくっていきたいと思っている。
それが自分のこれからの指針になるくらい、今すごく幸せなんだよね。
長崎での次の1年は、人を長崎に呼び寄せて行こうと思う
この一年、長崎で色々と動いてみて、既存の長崎の人と一緒に何かを創り上げていくのはほぼ無理だという結論に至った。もしできるとしたら、今、少し関わりを持ち出した長崎の大学生たちぐらいだ。
ただそんな若い人でも、お互いが共鳴し合えるかというとそうでもない。
だから、長崎の人と何かするのではなく、長崎に人を呼び寄せて行こうと思っている。
例えば弟子をとって長崎に住まわせたりして、少しずづ中村あきらの価値観というものを外部の移住者を通じて浸透させていこうと思う。
多分それが近道で、それが一番長崎にとってもいい事だと思う。
変わりたくない、興味がないという人に時間を使うのではなく、今のぼくのスタッフやビジネスパートナーたちのようにぼくやぼくの仕事に興味を持っている人を日本や海外から呼び寄せ、文字どおり自分たちだけのコミュニティをつくっていきたいと思っている。
もっとお金が周り出したら、長崎の空き家を買い取ってシェアハウスにしてもいいし、parcy’sの合宿や講座を長崎で組み立てていきたい。
ぼくを慕って移住してきてもらったり、その人たちとぼくがつながってビジネスをしたりする事で、ぼく自身は長崎とはつながれないけど、その移住者仲間たちが長崎とつながれるんじゃいかって思っている。
そこから何か生まれるかもしれないし、長崎が盛り上がっていくかもしれない。
それがぼくができる長崎の盛り上げ方じゃないかなって今は思っている。
どうなるかは分からないけど、今の幸せの土台に、もっとビジネスを拡大してくことと、仲間を増やしていくことができたらなって思っている。
またこの1年も長崎で楽しんでいくよ^^