『ピクサー流創造するちから』エド・キャットムル著(ダイヤモンド社)を読んだ。
ピクサーは、「モンスターズ・インク」「トイ・ストーリー」「ファインディング・ニモ」などのアニメ映画をつくった会社だ。
この本は素晴らしかった。
ぼくが読んだ本の中で今年1番だったかもしれない。
この本を読もうと思ったキッカケは、元AppleのCEOジョン・スカリーのインタビューを見たことだった。
「スティーブは創業間もないそのころ、優れた経営者ではなかった。現在私たちが知る、あの偉大なスティーブ・ジョブズは、同世代のおそらく世界で最も偉大なCEOだけれど、彼はきっと、解任後の曲折した年月の中でたくさんのことを学んだのだと思う」
1985年に自分がつくったAppleをクビになってから、1997年にAppleに復帰するまでにジョブスは一体何を学んだのかをぼくは知りたかった。
もしかしたら知らない人もいると思うが、ピクサーはスティーブ・ジョブスが立ち上げた。
もともとスターウォーズを制作したルーカスフィルムだったが、資金難になり、ジョブスが買収した。
そのジョブスと一緒にピクサーを立ち上げ、今の素晴らしい映画を数々出していくまで成長させたのが、この本の著者でピクサーの社長のエド・キャットムルだ。
彼が語る、ピクサーの成長とジョブスとの成長の二つの記録がこの本には散りばめられている。
目次
ピクサー(Pixar)の名前の由来
なぜピクサー(Pixar)なのかというと、グラフィックスの責任者アルヴィとローレンの間で生まれた。
「映画(ピクチャー)をつくる」をという意味のスペイン語「Pixer」と、ハイテクなイメージの強い「Radar(レーダー)」を掛け合わせて「Pixar(ピクサー)」にしたのだった。
ピクサーの最初の課題は「ジョブスとどうやって仕事をやっていくか」だった
ジョブスが買収した後、ピクサーの最初の課題は「ジョブスとどうやって仕事をやっていくか」だった。
エドは、ジョブスから大きく刺激を受けた。
何としても成功するのだという決意、大胆な発想などだ。
ただしジョブスは人との接し方が独特だった。
ピクサーとディズニーの合併
しかし、そうした見方にはおまけがついてきた。人との接し方が独特なのだ。
苛立ち、無愛想になることがよくあった。見込み客との打ち合わせに出て、相手に凡庸さや準備不足を感じ取ると、ためらいもなく相手を糾弾した。
取引やひいきを得ようとしているときの戦術としては最悪だ
彼は若く、意欲にあふれ、自分が周囲に与える影響にまだ気づいていなかった。
最初の数年間は、「普通の人」を理解しようとしなかった。
つまり、企業経営者ではない人や、自分に自信がない人だ。
それは、「こんなチャートあてにならない!」とか「クソみたいな取引だ!」などど乱暴で決定的な発言をし、相手の反応を見るというものだった。
反論する勇気のある相手は、一目置かれることがある。
スティーブに小突かれ、そして覚えてもらえる。
それが人の考え方やそれを押し通す覚悟があるかどうかを見極める彼なりのやり方だった。
——『ピクサー流創造するちから』より長くより遠くより
ここからスティーブジョブスはピクサーで何を学んでいったのだろうか?
「トイ・ストーリー」公開の一週間後に上場
ジョブスは、「トイ・ストーリー」の公開と同時にピクサーの上場を目指した。
ジョブスにとってこれは単なる映画ではなく、アニメーション界を一変させるものだった。そしてそれが起こる前に株式上場したかった。
「2,3本撮ってからにしよう」とエドたちは反対した。
しかしジョブスは頑なにこだわった。「今こそやるべきだ」
ジョブスは、現在助けてもらっているディズニーとパートナーとして対等に提携をしたかった。
そのためには、「トイ・ストーリー」がヒットしたあと、十分な製作費を持てるだけの予算を確保するべきだと語った。
ジョブスは正しかった。
「トイ・ストーリー」は大成功して、IPOによって1億4000万ドル近い金額を調達して、ディズニーと対等の契約を結ぶことができた。
これにはエドは、驚いた。その確認と遂行力は見事としか言いようがなかったと語った。
ピクサーらしさを追求していく
トイ・ストーリーの成功とディズニーとの提携で、ピクサーは財務的にすごく安定した。
ここからピクサーは、自分たちの作品と組織に対して「ピクサーらしさ」をとことん追求する旅が始まった。
品質をとことん追求していく
「トイ・ストーリー2」を作ろうとしたときに、劇場公開版ではなくオリジナルビデオで制作するという案が持ち上がった。オリジナルビデオは儲かるビジネスだったのだ。
ただビデオ市場に向けて販売するとなると質は下がってしまう。当初はそれでも大丈夫とタカをくくっていた。
しかしすぐにそれは間違いだと気づいた。
B級作品を作ってしまうことで、社内の士気は下がり、文化に大ダメージを与えた。
何とか巻き返し、「トイ・ストーリ2」は劇場版として公開され、数少ないオリジナルより優れた続編だと称賛された。
この経験がピクサーとはどんな会社なのかを説明するいい機会になった。
決して品質には妥協してはならないと言う経験だった。
ディズニーとの合併!ピクサーがディズニーアニメーションの復活に動く
ピクサーとディズニーの合併
合併の課題点を議論していると、スティーブがある話をした。
20年前の1980年代初頭、アップルはマッキントッシュとリサという2種類のPCを開発しており、スティーブはリサ部門の責任者を頼まれた。それは彼が望んでいた仕事ではなく、仕事のやり方もまずかった。
チームを鼓舞するどころか、すでにマック開発チームに負けている、いくら頑張っても報われないと言い放ち、チームの精神をくじいた。自分はまちがっていた、と。
そしてこの合併を進めるなら、
「ディズニー・アニメーションの人たちに負けたと感じさせてはいけない、自信を持たせなきゃいけない」と言った。
ディズニーにこの上ない愛着を抱いていたジョンと私には願ってもないことだった。どちらもウォルト・ディズニーの芸術的理想に応えたいと思って生きてきた。
だからディズニー・アニメーションの門をくぐり、そこで働く社員を再び元気にし、彼らがまた偉大な存在に戻る手助けをすると言う使命を託されたと思うと、大変だが価値がある仕事に思えた。
——『ピクサー流創造するちから』ピクサーはディズニーに飲み込まれてしまうのかより
ディズニーアニメーションは、合併前までは出口のない迷路をさまよっていた。
16年間興行成績トップの作品がないこと、創造を発揮できない階層制度、社員が自分の個性を発揮できないワークスペース。
ピクサーでの経験を踏まえて、これらを一からエドたちは、変えていった。
作品に対して失敗を恐れず新しい試みをしていくこと、本音で語れること。
その後、ディズニーは「塔の上のラプンツェル」で大成功した。
世界で5.9億ドルという、ディズニーアニメーション歴代2位の記録を達成したんだ。
その後「アナと雪の女王」とディズニーの快進撃は止まらない。
エドはこう語る。
「スタジオの顔ぶれは、合併したときからほとんど変わっていない。機能不全に陥っていた集団に我々の指針を適用し、彼らを生まれ変わらせ、その創造性を解き放った。」
ディズニーもピクサーとジョブスによって救われたのだ。
スティーブジョブスはどのようにして変わっていったのか
エドは、今伝えられている彼の描写に対して、どれも自分が知っているジョブスには似ても似つかないと言う。
皆がジョブスの極端な一面や、難しい否定的な性格ばかり取り上げていることにいら立っていた。
若手経営者のころのジョブスの逸話は本当かもしれないが、全体的な人間像はそれとはまったくかけ離れているという。
ジョブスがエドと26年間一緒に仕事をしてる間に色んなことを学んだ。
人にごり押しをするのをどこでやめるか、あるいは、必要なときには相手を追い込みすぎないようにする押す知恵を身につけたこと。パートナーシップに対する理解も深めた。
それらは、ロリーンとの結婚と、愛する子どもから学んだ。
ジョブスにとってピクサーとは?
彼の妻と子どもたちが当然最重要、そしてアップルは彼の最初で最も歓迎された偉業だ。
それに対し、ピクサーは、彼が少しリラックスして遊べる場所だった。
その激しさを失うことはけっしてなかったが、聞く力をどんどん身につけていった。
ますます共感や思いやりや忍耐強さを見せるようになっていった。
そして本物の賢者になった。彼は心底変わった。
——『ピクサー流創造するちから』私の知っているスティーブより
ピクサーの挑戦とジョブスの成長がともに分かるとても素晴らしい本だった。
ジョブスは、ピクサーを危機的状況から救い、トイストーリーを成功させ、ディズニーから守った。
ジョブスはピクサーを変えたが、ピクサーもジョブスを変えた。
それはエドのこの言葉に集約される。
「彼は他人の感情だけでなく、創造的なプロセスにおける価値に対しても敏感になったのだ」
Apple退社から、Apple復活までの12年間で彼は、ピクサーの復活、素晴らしい映画ができるまで、そして自分の家族の成長を経験した。
この創造的なプロセスの大切さに彼が気づいたからこそ、彼を偉大な経営者にしたのだろう。
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